以前に触れたタバコの件、もうちょっと深く考えてみたい。以前のはこちら

事前に断っておくが、私は嫌煙家である。何故嫌いかというのは本編で散々過去にネタにした事なので省く。今の職業訓練校でも、ベランダが喫煙所なのだがすぐ近くだし開け閉めが激しいのであんまり分煙になってなくてちょっと腹が立っている位なのだが。

という訳でタバコの話へ。保健所時代に、印刷に行く時の原本で大概タバコの悪影響について書いてあるものを見たし、刷ってきた。また、保健所のそこら中に禁煙を促すポスターが張ってあった。まあ嗜好品だから、成人男性の好き好きだが。どうでもいいけど、高校出てすぐ公務員になったりしたら、まだ18歳だから法律的にタバコを吸えないだろうけど、そういう人もこっそり各課の喫煙所で吸ってたりするのかなあ?日本全国の都道府県・市町村の役所なら一人くらいは居そう。だからなんだっていう想像だけど。

しかしよくよく考えてみると、タバコの税収ってのは貴重な財源の一つな訳である。確か年間二兆何千億円かだったっけ。250円のタバコ一箱で実際のタバコ代は80円ちょっとで、あとは全て税金だったと思う。それも確か地方税の割合が高かったような。だからタバコはその地で買え、と言われるんだったと思うが。それはともかくとして、そういう意味では公務員、特に地方公務員が「タバコをやめましょう」ってのはなんだか矛盾してるよなあと思う。自分達の収入源を否定してる訳だもんなあ。相変わらずあまのじゃくな考えで申し訳ないが。ラーメン屋が「ラーメンが塩分が高いので食べないようにしましょう」ってのと同じだ。あんまり例え上手くないけど。

ちょっと例え話を。以前、小学生の論文(作文コンクール的な)みたいなのでこういうのがあった。「日本人が缶ジュースを使うのを全員やめて水筒を持ち歩くようにすれば原発が2基減らせます。だからみんな水筒を持ち歩くようにしましょう」と。つまり、全国の自販機や缶を製造する電気代を節約すればそうなると。確かに正論なんだろうとは思う。どれだけの電気消費量なのかは知らないけど、恐らくその小学生はそれを調べたんだろう。何の過不足なく正論だ。付け入る隙もない。

しかしちょっと考えて欲しい。日本全国から缶ジュースを無くせば、その缶ジュースの会社に携わる全ての人間が職を失う訳である。製造する工場の出荷や製品管理に携わる人たち、本社で営業やら総務やら経理やら色んな仕事に就く人たち、自販機にジュースの補充をする仕事に携わる人たち、更には原発2基がなくなればその原発での仕事に携わる人たちも仕事を失う。よく言われてる事だけど、福井県は産業が何もなかったから原発を多く建ててその分お金を大都市圏から貰い、電力を大都市圏に送るという手段を取っている訳である。やたら原発反対運動が高まっているが、そういう一面もある。更にもっと言うと、そういうジュース会社はスポーツやCMで色んな広告宣伝費をばら撒いており、例えばコカコーラがメインスポンサーのチーム(どこか忘れたけど)とかは経営が成り立たなくなり倒産するし、新聞や雑誌の半分近くの収入源とされる広告記事も埋まらなくなり出版社も大打撃を受け、テレビの民放も影響される。そういう風に世の中お金が循環してるのである。

その小学生はそこまで考えていたんだろうか、と思う。その小学生の両親がどんな仕事をしてるかは分からないけど、自分の両親の仕事を根底から否定されたらどんな気持ちになるんだろうか、と。まあ、純粋無垢な子供にこんな薄汚い大人の意見を聞かせるのもどうかと思うけど。でもそういう面も教えないといけないのではないか。俗に言われる事だけど、経済の発展と環境問題の両立は本当に難しい。日本の二酸化炭素の排出量が、京都議定書を批准できないから抑制しないといけないはずなのに、近年増加してることの要因の一つに「景気がわずかながら回復しつつあり生産活動が活発になっているから」という事もあるのである(新聞の記事を鵜呑みしていいのか、という意見もあるが)。

なんだかあまり上手い例え話でもなかった気がするけど、そういう訳で無下にタバコを悪者扱いするのはどうかと思う。勿論、副流煙の問題や歩きタバコの問題は別としても、単なるストレスの解消の為に嗜好品として摂取する分には別に問題ないのではないか。人に迷惑をかけない範囲なら。病気にならずに長生きしたいか、別に長生きを第一の目標としないかどうかなんて個人の考え方の違いだし。

そういう疑問を抱かざるを得ないのが、何故か同じ嗜好品でもタバコだけ悪者で、アルコールに関しては良い者という風潮がやたら広まっている気がする。勿論過度の摂取は悪いんだろうけど、「いやー、昨日は飲みすぎちゃいましてねー」は単なる笑い話で済まされている。アルコールで今までどれだけの人間が迷惑を蒙(こうむ)ってきただろうか。飲酒運転で死亡事故、なんて後を絶たないし、電車で酔っ払いに絡まれて痴漢に遭った、なんて話も聞くし、嘔吐物でタクシーを汚される事はしょっちゅう、なんて話も聞く。また、ストレスの発散法として「飲み会でみんなでワイワイ騒ぐ」事が絶対正義として存在している気がしてならない。同じストレス発散法でも、ニコチン摂取は絶対悪で飲み会が絶対正義。飲み会が楽しくないなんて訳が無い、という強制。

別に人の趣味趣向なんてそれぞれだから、それは単なる考え方の違いである(なんかこっちではこればっかり言ってるな)。なのに、大勢で集まって楽しく過ごす、という事がどうしてこうも絶対正義とされなければならないのか。というのも、また後日触れる事だけど、家にこもりがちなお年寄りに配るパンフレットに「みんなで楽しく」みたいな事が書かれてあったのをよく見たんで。とにかく「一人きりになる」という事がどうも悪いこと扱いされてるようである。昔流行った本「地図の読めない女、話の聞けない男(←順番逆だったっけか?)」にあったけど、男性のストレスの発散法が一人きりになってじっくりその問題を頭の中で解決する事に対し、女性の場合人と話をしてそれがストレスの発散になる、とあったけど、なんかそういう事なんじゃないかと思えてくる。男性の喫煙率が女性より高いのもうなずける。そうやって男が一人きりでタバコを吸いながらリラックスして考え事をするのが女性には理解出来ないのではないか。特に保健師女性ばっかりだったし。今も過去も。だから同じ様にストレス発散してても、方法が違うと色々言われるのではないか。勿論人によるだろうし、男でもお喋りな人はいるだろうし女性の喫煙者もいるだろうが。

本当に嫌煙家なんだけど、どうもこの今の風潮に疑問を持っていて。あまのじゃくというより人として病んでいる気もするが。あと、飲み会の押し付けと酒好きのアルコール強要は本当に止めて欲しい。体質的には飲めるけど、飲みたくないんである。飲み会でもウーロン茶が飲みたい。さっさと帰ってテレビ見たい。好きにさせて欲しい。