夕方、FMラジオのニュースを聞いてたら、この某市で食中毒騒動があったと。で、そのニュースの中で女性のアナウンサーが「某市で食中毒が起き、某市保健所は検査に乗り出し〜」と読んでいたんだが、その中でこの女性が保健所の事を「ほけんしょ」と言っていたのである。無論「ほけんじょ」なのだが。無論、って事はないけど。"し”じゃなくて“じ”。

辞書で引いても「ほけんじょ」だし、パソコンで変換する時も「ほけんじょ」なら一発で変換できるが「ほけんしょ」では変換できない。濁点を付けるのが正しい訳である。ちなみに、よく言われてる事だけど、「茨城県」の場合は「いばらぎ」じゃなくて「いばらき」で、濁点を付けないのが正解である。よく茨城県の人が怒ってるが。茨城の場合、「いばらぎ」でも「いばらき」でもどっちでも変換できるのがややこしいんだが。

最近、どうも色んなメディアで濁点を付けるのが言葉として汚い、みたいな感じになりつつある気がする。「保健所」も正しくは「ほけんじょ」なのに、付けるか付けないか紛らわしい時はとりあえず濁点無しで、みたいな風潮がある気がして。それが顕著なのが「スムーズ」という言葉である。高校時代に使ってた辞書を引いたら「スムースとも言う」と書いてはあったけど、英語の「smooth」をそのまま発音したら「スムーズ」の方が正解な訳である。一回、「スムーズ」といった後わざわざ「スムース」と言い直したタレントもいたし(誰だったか忘れたけど)。なんか本末転倒も甚(はなは)だしい気がする。私は「正しい日本語を使おう」みたいな事を言う人間ではないけど、そういう人たちがこうやって濁点を付けて発音するのが正しい物をわざわざ濁点をはぶいてそれで正しい・美しい日本語だ、とか言ってるのが滑稽で仕方ないんだが。そうやって濁点がある言葉を濁点をはぶくようにするのは「日本語の乱れ」じゃないのかな。どうでもいいけど。

ここで本題。最近こうやって「過剰に丁寧にする事で本質を見失っている」事によく出くわす。一番顕著なのが古本屋のブックオフである。行った事のある人なら分かると思うけど、いちいち客が出たり入ったりするたび、「いらっしゃいませー」とかなりうるさい。ほとんど“怒鳴ってる”感じだ。作業してる店員のそばを通っても、いちいち大声でいらっしゃいませ、とか言うし。どうやら全国のチェーン店でそうみたいだから、そういうマニュアルがあるんだろうと思う。でも、完全に「接客」という物の本質を見失っていると思う。確かに接客マナーの悪い店も多い。特に古本屋は。しかし、あそこまで過剰に言われると何か威圧感さえ感じる。高圧的、と言ってもいいかも知れない。挨拶する分にはし足りないより過剰にやってればいいだろうみたいな、考えがあるようで実は全く考えのない接客姿勢。ブックオフだけに限らないけど、聞くところでは必要以上に話し掛けるタクシー運転手とか理・美容師とか。空気読めんのか、と。

「過ぎたるは及ばざるが如し」とはよく言ったものである。サービスも程々に。ご利用は計画的に。意味は無い。