こんな騒動があった。29歳の警察官なのだが、少年時代の不良歴を理由に「警察を辞めろ」と上司に言われ、それを不服として県の人事院だか何だかに訴えたと。結局、彼の言い分が認められ警察官を辞めずに済んだ訳で。

まあ正論である。この上司がバカなだけである。「不良時代に親身になって更生させてくれた警察官のように自分もなりたい」という彼の思いが通じてよかったと思う。それはいいとして、地元新聞の「読者の声」の欄にもこれに関して意見があった。その中にこんな物があった。「彼は不良少年の気持ちが分かるだろうから、少年時代の不良経験を生かして不良少年達の更生に尽力して欲しい」と。70代くらいのお爺さんだったと思うが。

これってどうなんだろう。まるで「少年時代に不良経験があったほうが人として優れている」かの様な言い分ではないか、と思う。冗談ではない。それではまるで、彼の不良時代に迷惑を蒙った人間が「彼の人生の肥やし」になったみたいではないか。いくら彼が今後不良少年を更生する事があろうと、少年時代に人に迷惑をかけた事実そのものは無くならない訳で、それはなんかおかしいよなあ、と。真面目に生きている人間に対する冒涜ではないか。真面目に、何の犯罪歴も無く警察官になった人間と、過去に犯罪歴のある警察官では、絶対に前者の方が偉いに決まっている。別に犯罪歴があるから警察官になったらいけないなんて言わないけど、マイナスからプラスになった方が良い、俗に言う「振り幅があった方が良い」理論で片付けられても。小説じゃないんだし。星新一の小説であったけど、ある国の姫が、自分が主人公のおとぎ話を後世に残したいと画策し、自分が不幸のどん底に陥るように周囲の家来を使い、最後にはハッピーエンドになるように仕向ける、というのがあったけど、その中で作戦担当の執事が言った「物語というのは不幸が大きければ大きいほどより感動を生むのです」という台詞にも何か通じる物がある気がした。あんまり上手い例えじゃないけど。

とりあえずこの「過去に経験してる人間の方が偉い」という“経験至上主義”みたいな風潮ってやっぱりあるなあと思う。決して経験を否定する訳じゃないけど、だからって経験だけが全てでもないと思う。俗に言われてる事だけど、小説家が本当に人を殺した事もないのに人の死を書いているとか、爆弾とかそういうのを話の中で扱っているとか、あまり恋愛経験のない作家が恋愛小説を書いているとか、そういうのがおかしいのか、と。「爆笑問題のススメ」で市川拓司(だったと思う)という恋愛小説を書く作家が言っていたけど、彼自身は高校時代から妻と付き合ってそのまま結婚したから妻以外の女性と付き合った事が無い、と。これも大した例えじゃないか。

という訳で前置きが長くなったけど本題へ。母子事業の担当をしている保健師で、結婚して子供がいる人とそうでない人がいる。そりゃそうだけど。で、出産の経験も育児の経験も無いのに、そういう人たちの相談に乗ったりするのはおかしい、という人がいるのである。全く以って見当違いではないか。だって、出産や育児の経験があるだけで良いならそこら辺の子沢山の家庭のお母さんで十分だろう。何の為の「保健師」という国家資格なんだろうか、という事になりはしまいか。本当に、実際の所なんて全く知らないで言うのはおこがましいとは百も承知だが。そんな事言えば、禁煙指導とかやってるけど、その指導やってる保健師の人たちみんな過去に喫煙歴があってそれを克服した事があるのか、という事になるし、引きこもりでもない人が引きこもりの相談に乗ったりするのはおかしいし、それこそ出産・育児なんて様々な問題のケースがあるだろうからそれら全てを経験してる人なんていないだろう。

別に経験が悪いなんていうつもりは全く無いし、無いよりはあったほうが良いのかもしれないけど、だからと言ってそれだけってのも。何の為の研修だって気がするから言っただけだが。