電車男が大ヒットとか。映画の興行収入20億円を見込んでるとか。夏にはドラマ化とか。まあ正直言って、書籍化されて初めて知ったわけだけど、どうなんでしょ。全くと言っていいほど興味無いけど。

映画観る予定もないから何とも言えないけど、実際はもっと画的にきつい事になってると思うが。まあこの話自体がフィクションなのかどうなのか、っていう問題があるけど、それはもう別にどうでもいい事だし。「一杯のかけそば」が実は作り話だった、って言うのと同じ様な問題だよな。別に作り話で何が悪い、って。表現の場が本かネットかの違いなだけで。

大体「彼女いない歴」が20年を超すと「気持ち悪い」の部類に属される気がする。当然私も属する訳だが。確かにこのサイト読んだら分かるように男性(と言うか人間)として欠陥だらけだから無理もないけど。でも「オタク」って訳じゃないけどな。言い出せば、そもそも「おたく」ってなんだろう。フィギュアの収集癖とかアニメとか全く興味無いしなあ。基本、こうやってだらだら文章を書く個人サイトをやってれば「オタク」に分類されそうだが。確かに社会的に何の価値もない駄文だしな。「駄文書きオタク」か。褒められたもんじゃないな。

人と交わる事が苦手、と言うかしたくない、という意味では、この間ヨットで世界横断に成功した人とか、休日に一人でキャンプする人とか、オタクなんじゃないのか。アウトドアってオタクと言われないのな、一人きりで何かをやるにしても。

YOMIURIオンラインの映画評に「ネットという虚構の世界が〜」みたいな記事があったけど、それってどうなのかねえ。結局ネットを利用してるのは人間なわけだし。そんな事言えば、テレビもラジオも新聞も、メディア全般虚構の世界でわ?とりあえずインターネットとケータイに関しては、大きく捉えられ過ぎ。

考えてみると、テレビやラジオが無い時代(明治時代や大正時代)の人たちにとっては、小説の作家や政治家なんか、全く見たこともなかったであろう訳で。東京なら可能性も無きにしも非ずだが、地方に住んでいれば。新聞で顔写真見た事はあっても。だから、その時代の人にとっては政治家や作家も十分に「顔の見えない相手」であったのではないか。文通なんかもそうだし、今ほど交通の便がよくなかったであろう事を考えると、十分虚構の世界ではないか。今現在に生きる我々が、政治家や作家を「認知している・虚構の世界の人間と感じない」のはテレビのおかげだろう。顔の全く知らない相手を「虚構」とでしか決め付けられないのはテレビが当たり前の時代になった現代人くらいか。結局はパソコンの向こう側で文章書いてるのは人間なわけだしな。それが昔は本や新聞だっただけ、の話では。

水戸黄門なんて、印籠見ただけでひれ伏しちゃうんだからな。ま、完全にフィクションなんだけど。